1999年5月25日、朝日新聞夕刊で「白神こだま酵母」の存在は秋田県以外にも広く知られることになりました。
発酵力の強さ・フルーティーな香り
世界自然遺産白神山地のブナ林から発見されたパン用の酵母菌「白神こだま酵母」
それはパンを焼いている人たちにとって、ましてや天然酵母でパンを焼いている人たちにとって、誰もが知りたい!使ってみたい!!と思うような酵母菌でした。私もすぐに秋田県総合食品研究所に問い合わせをしましたが、もちろんけんもほろろ「県外不出です」の一言でした。
そこで、白神こだま酵母を使ってパンを焼いているパン屋さんを紹介していただき、早速取り寄せたのが始まりでした。期待して待っていた私の手元に届いたパンは、酸化した油のにおいにまみれショートニングやVCなどが添加された、おおよそ白神山地のブナ林のイメージとは程遠く、とても私が食べたいと思えるパンではありませんでした。
そこでさらに食品研究所に電話をしたところ、事務担当の方が直接高橋慶太郎先生に電話を繋げてくださいました。
(後日談・・・、事務担当の方はその日飲み会があって早く帰りたかったので、面倒くさかったので高橋先生につなげた・・・とのことでした)
その時「もしも本当に白神こだま酵母が素晴らしい酵母なら、あのようなパンを広めてはいけません!」と、言って「もしよろしければ私のパンを送らせていただきますので、ぜひ召し上がってみてください」と力説をしていました。
当時はH天然酵母と国産小麦で小さなベーカリーを営んでいて、イトーヨーカドー数店にも卸していた時代でした。
製菓製パン学校にも通ったこともなく、ベーカリーで仕事をしたこともなく、ましてや自分がパン屋になりたいなどと夢々思ったこともなく・・・
そんな私が独学で作り上げた家族や大切な友人たちのために作った「台所のパン」がそのままに、お客様のためのパンになり広まっていきました。
そのパンを数点、高橋先生にお送りしたところ、「作りたかったのはこういうパンです」とおっしゃっていただき、交流が始まりました。
夏を越して秋になった時に、高橋先生から
「いつかは白神こだま酵母も県外に出ます。こだま酵母は低温でも動いてしまうので、冷凍で送らなければなりません。つきましては、温度計を差し込んでデーターをとりたいので、温度計だけを送り返していただけますか。こだま酵母は、捨てても何に使っても私が関知するところではありません」とおっしゃっていただき、白神こだま酵母は初めて秋田県を出て私の手元にやってきたのです。
(後日談・・・この時高橋先生は、始末書を覚悟されていたとのことでした)
白神こだま酵母(生タイプ)を開封すると、本当に雨上がりの森の香りがしました。
それから、様々な作り方でパンを焼きますがなかなかおいしいと思えるパンにはなりませんでした。発酵時間を変え・発酵温度を変え・・・繰り返す日々。
そしてやっとつかんだのが、32℃の法則でした。
そのパンを早速高橋先生に送ったところ、「小玉先生も会いたがっているので、一度研究所に来てください」と、お誘いをいただき早速研究所に行きました。
秋田駅についてタクシーで行先を伝えると「お客さん珍しいね、あんなところ行く人はまずいないな~」と、運転手さんに言われたので白神こだま酵母が日本のパンを変えるということを語りながら、研究所に向かいました。
そして降りるとき確か2千いくらだったのですが、その運転手さんは2千円でいいとおっしゃったのです。
「自分たちも秋田県のために何かしたいと思っていたけど、なんもできないもんね。だからお客さん、秋田のために頑張ってください」と、言われ思わず涙目になっていたことを今でも覚えています。
研究所に入って、小玉先生にお会いした時に「あぁやっと白神こだま酵母を大事に使ってくれる人に出会えた」と、高橋先生が小玉先生の言葉を通訳してくださいました。
白神こだま酵母を絶対に守らなければ!私がそう決意した瞬間でもありました。
それからもこだま物語は紆余曲折続くのですが、ようやく白神こだま酵母の販売代理店になった時に、製造販売元・秋田十條化成株式会社の当時のK社長に「年間一億の売上が三年以内にないと、会社としては事業部門として認められない」といわれました。
後ろ盾もなく、酵母販売のルートもなく、あるのは白神こだま酵母への熱い愛(笑
おかげさまで国産小麦粉を使っていた関係で紹介いただいた製粉会社の講習会場をお借りして、白神こだま酵母の製パン講習会を何度かやらせていただきました。
津田さん(後のサラ秋田白神社長)始め製造のスタッフとともに、サラのレシピも工程もすべて公開しましたが、残念ながらパン屋さんには伝わりませんでした。
なぜなら、彼らには越えられない28℃という壁があったのです。
生地を32℃に捏ね上げたら、生地がふいてパンにならない(過発酵)という、それまでのパン業界の常識から外れることができなかったのです。
ではなぜ、今白神こだま酵母がブランド化できたのかといいますと・・・、全国の家庭でパンを焼くお一人お一人の力があったからにほかなりません。
それは白神こだま酵母ドライの全国発売があってのことです。
しかし、初めは私と津田さんで注文いただいたお客様に、封筒に詰めて発送していた時代もありました。
日中はそれぞれの業務をこなし、その仕事が終わってからの作業となります。
「今日は定時に帰れてよかったね」と言いながら、夜の11時が定時退社時間だった時期もありました。
白神こだま酵母の価格は、本来ならもっと高く設定しなければ採算は取れない状況でしたが、どうしても多くの皆様に使っていただける価格を設定するしかありませんでした。
薄利小売の時代を、サラの白神こだま酵母パン製造販売部門の売上に支えられていた時期でもありました。
今では懐かしい想い出です。
そして、白神こだま酵母にとっての大きな転換期は「大地を守る会」さんとの出会いだったかもしれません。
自然食品の分野では第一線だった大地さんが、サラのパンと白神こだま酵母を気に入っていただき、秋田十條化成まで行って白神こだま酵母に関して調べてくださいました。 そして取り扱いが始まってから、あの大地さんが認めた酵母として、徐々に一般の販売店様にも広がっていきました。
そんな効果もあり、当初懸念されていた秋田十條化成のK社長との約束であった、年間売上1億のお約束を達成することができました。
朝日新聞の影響もあり、全国から白神こだま酵母の販売を心待ちにしてくださる多くの方々からのご要望もあり、渋谷区西原で「サラパン教室」が始まりました。
パン屋さんとは違って、教えられた通り素直に作っていただけるので、本当においしいパンを焼いてくださる方々が、地元に帰ってそのパンやパン作りを伝えて、白神こだま酵母が全国へと広がっていきました。
国産小麦と白神こだま酵母の「引き算のパン作り」は、私が台所で作っていた「大切な人たちに食べてもらいたいパン」がそのままに、レシピとともに小さな点が重なるように広がっていきました。
当然、ライバルといわれる会社からの風評被害や嫌がらせもたくさんありましたが、それに負けなかったのは白神こだま酵母を大切に想っていただいている方々の優しさがあったからこそだと思っています。
国産小麦は日本の小麦を守るため、私たちの健康を守るために使ってきました。
そして、その意志を継いでくれる多くの方々に支えられて今があります。
そんな時に、小麦アレルギーの子供たちとの出会いがあり「米粉」への道につながっていきました。
もともと、パン業界の市場は限られているとわかっていたので新たな市場も広げなければならないという責任感は絶えず持ち続けていました。
白神こだま酵母とともにグルテンフリーのパンという不可能に挑戦しつつ、うまくいかない時は白神こだま酵母が初めて私の手元にやってきた時のことを思い出しました。
繰り返し繰り返し挑戦することによって、必ずそれは完成する!と、自らに言い聞かせながらの挑戦でした。そして、その理論にたどり着くことができたのです。
日本の美味しいお米と日本の酵母菌の新たな世界です。
当時はドライイーストを使っていた方も、おかげさまで今では米粉パンを作るほとんどの方が「白神こだま酵母」を使っていただいているという時代になりました。
さて、米粉のブームと言われていますがその米粉のほとんどが「飼料米」ミズホチカラなのです。
つまり「主食米」として「ごはん」では食べられないお米なのです。
サラ秋田白神のマイベイクフラワーやマイブレッドミックスのようにあきたこまちなどの「主食米」で作った米粉ではなく、「飼料米」なのです。
米粉と仕事をするようになって、様々な日本の問題点が浮かび上がってきました。
食料自給率37%ともいわれるわが国の食料事情。
今年度から農林水産省は、おいしいお米を作る田んぼには補助金を出さないと決めました。「飼料米」を作る田んぼには手厚く補助金が出ます。
米農家は収入がなく、生活ができません。ある農家は時給換算すると10円だそうです。
また、借金してお米を作っているというのが現状で、高齢化した米農家がどんどん米作りをやめていってます。
時々地方を訪れますが、この地域の若手農家が67歳だとか78歳だとか・・・、このような状況に、日本の食の未来はありますか?
このままいっては、日本からおいしいお米をつくる田んぼが消えていきます。
未来の子供たちに、何が残せるか!
それは、国産小麦とおいしい「主食米」だと、私は思うのです。
炊いておいしいお米が良質な米粉になって、おいしいパンを焼く!
それが私の理念でした。
ところが米粉に関しても、ミズホチカラなどに農水が力を入れていることや、製粉技術やでんぷん損傷度·粒子などが様々で、小麦粉のように水分調整すればワンレシピでパンが焼けるわけではありません。
そこでやっと私がたどり着いたのが「お米deパン」製法でした。
家庭にあるおいしいお米でワンレシピで誰でもが限りなく失敗しないパンを作る方法を、白神こだま酵母とともに開発するに至りました。
大塚 せつ子
一般社団法人日本米粉クッキング協会 代表理事
日本グルテンフリークッキング協会 代表理事
株式会社ライステラス 代表取締役
日本米粉クッキングアカデミー 主宰
https://www.instagram.com/jrfca.official/
1斤パン
1斤レーズンパン
プチパン
ナポリ風ピザ
玄米味噌くるみパン
ピタパン
ミルクフランス
塩バターロール
古代米カンパーニュ
シャンピニオン